解明するデバイスと寝物語

自分のなかにあるものを考えていく道具、伝える手段として「言葉」を選んだ。
それが絵や音楽ならばそれを使っただろう。しかし残念ながら、俺にはそれらの才能はまったくない。

仮にあったとしても、自分のなかにあるものを解明していくのに「言葉」はとても便利で優秀なデバイスだからだ。俺にとって「書く」というのは考えるプロセスの「計算紙」

にすぎない。解明し人生のなかで実践して、ズレがあれば補正する。

ひとりで生きているときは、わざわざ「物語」という形式をとる必要はなかった。あるにはあったが、それは自分にだけわかる、自分にしかわからない物語であり登場人物だった。

Synchronicityのなかの『男』『少女』は、もう7つか8つくらいには存在していた。

よく子供が見えないものを見て「よそで言っちゃいけません」と怒られるような存在の人たちだ。ぼんやりと自分にだけわかる形であったのだ。

しかし誰か(妻)と生きていくというのは、それでは何のことかさっぱりわからない。そこできちんと妻にもわかるように「物語」に置き換えたのが今の「書く」始まりだった。

もちろんそんな物語にタイトルなんてあるわけがなく、紫式部の「源氏物語」のようにそれは妻との寝物語だったのだ。

それは今も変わらない。
寝物語のために、一日かけて今日の寝物語を話すために書くのだ。
例えば「ようやく、第六の月の意味がわかったよ」と、寝物語を始めるために。~Canon's word Synchronicity





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