スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

─noteより─

解明するデバイスと寝物語 ~なぜ書くか?2~

自分のなかにあるものを考えていく道具、伝える手段として「言葉」を選んだ。 それが絵や音楽ならばそれを使っただろう。しかし残念ながら、俺にはそれらの才能はまったくない。 仮にあったとしても、自分のなかにあるものを解明していくのに「言葉」はとても便利で優秀なデバイスだからだ。俺にとって「書く」というのは考えるプロセスの「計算紙」にすぎない。解明し人生のなかで実践して、ズレがあれば補正する。 ひとりで生きているときは、わざわざ「物語」という形式をとる必要はなかった。あるにはあったが、それは自分にだけわかる、自分にしかわからない物語であり登場人物だった。 Synchronicityのなかの『男』『少女』は、もう7つか8つくらいには存在していた。 よく子供が見えないものを見て「よそで言っちゃいけません」と怒られるような存在の人たちだ。ぼんやりと自分にだけわかる形であったのだ。 しかし誰か(妻)と生きていくというのは、それでは何のことかさっぱりわからない。そこできちんと妻にもわかるように「物語」に置き換えたのが今の「書く」始まりだった。 もちろんそんな物語にタイトルなんてあるわけがなく、紫式部の「源氏物語」のようにそれは妻との寝物語だったのだ。 それは今も変わらない。 寝物語のために、一日かけて今日の寝物語を話すために書くのだ。 例えば「ようやく、第六の月の意味がわかったよ」と、寝物語を始めるために。~ Canon's word Synchronicity ~

最新の投稿

ブラックボックス~なぜ書くか~

異常者と月について

表現と女性問題

愛というひとつの半分

排除と恐ろしい世界

性と死をモチーフにする理由

狂女と奈落 結論としての殺し

劣化と沈没する船

刷毛と大地